【反省と感想】 2019年 東京優駿(日本ダービー)

浜中とロジャーバローズの快挙に「すごい! おめでとう!」と一瞬快哉を叫びながら、次の刹那には「なんでなんでなんでなんで」と現実感を失った自分がいた。

この敗北は、思考停止から始まった

皐月賞の3頭は強い、皐月賞の3頭は強い、皐月賞の3頭は強い……。

なんのまじないだよ。暑いからってウワゴト垂れてんじゃねーよ

と、2日前の自分に言ってやりたい。

ヴェロックスは1着か2着、サートゥルは2着か3着、

ダノンキングリーは1着か2着か3着と予想したんだが、

自己嫌悪しかない

 

このレースを盛り上げた(?)一番の立役者は横山武史だ。「何としても逃げるだろうし、父が父だけに息子の逃げを邪魔する騎手はいない」とは思ったが、あんな決死の無茶逃げをするとは思わなかった。武史リオンリオンの1000m通過は57秒8。二番手追走の浜中バローズは58秒3くらいか(適当)。三番手以降は58秒7から59秒0前後だろうから(もっと適当)、三番手以降はこの馬場としては特段ハイペースではない。

大逃げを打つ馬がいて、二番手追走だけれど実質単騎逃げのような馬がいて、その他大勢は後ろで列なして様子見。このパターン、2000m以上戦で何度も見たことがある。こういうとき、たいてい後続は間に合わない。その他大勢の先頭、つまり三番手の騎手が二番手との差を詰めに行って初めてレースが動き出す。四番手から後ろは、三番手の人馬が視界を遮るので先頭との距離がわからないし、たとえ怪しんでも自分の馬の脚がタレるのをおそれてヘタに動けない。なにより今回、同じ集団の後方には圧倒的1番人気のサートゥルナ―リアが控えていた。

令和最初のダービーで道中三番手につけていたのは池添騎乗のサトノルークス。池添は自分の馬のリズムを壊さないように乗ったのだろうが、結果的に波乱のフォロー役になった。

 

ダービージョッキー浜中の二人の恩師と競馬の世界にひきいれた爺ちゃん。

競馬マスコミはまたも、これをさかんにエエ話として紹介しだした。しかしそのマスコミの姿勢、3年前の浜中イメージダウン劇を引き起こした原因のひとつではなかったろうか。

2016年2月、浜中は落馬負傷して1ヶ月の戦線離脱を余儀なくされた。前年の2015年、4年ぶりに年間100勝台から陥落した浜中に強い焦りが生じなかったはずはない。それまで浜中はイケメンで優秀な騎手として競馬マスコミに持ち上げられ、プロフィールとして二人の恩師や爺ちゃんとの関係がクローズアップされた。彼自身もインタビューやコラムなどで頻繁に「恩返し」を口にしていた(インタビュアーの誘導やライターによる文言追加もあっただろう)。

2016年11月と2017年3月の重賞での浜中の酷い斜行、あれは浜中が、周囲に期待される「勝てる騎手イメージ」と「恩返し人情談の継続」に押しつぶされた結果ではなかったか。どんなに酷い加害者になろうと、落馬負傷者が出ない限り制裁は騎手だけで、馬は降着にならない奇妙なルール・裁決が悪魔の最後の一押しになり、大事なレースで反則を重ねたように思う(レーヌミノル陣営がその後、彼を降ろしたのは真っ当な判断だった)。がんばってますアピールと人情談さえあれば許してもらえる、そんな計算と甘えもあったかもしれない。

当時の浜中は満28歳目前と28歳直後。以来、浜中はマスコミの手のひら返しはもちろん、競馬ファン(私も含めて)から白い目で見られ、一部からは粘着とも思える誹謗を受け続けることになった。だがしかし。人の心の中は見えないが、もし心の中と行状をつぶさに記録するナニカがあったとして、「生まれて今日まで自己利益のためのズルを一切したことがない」と証拠開示の上で胸を張れる人間がどれほどいるだろうか。賭け金を背負い、スポットライトを浴びる立場の人間だからこそ厳しい批判にさらされるのがギャンブル前線を担う者(駒とも言う)の宿命だが、彼に課せられた負の烙印は少々深すぎた。

煽るのが仕事と割り切るマスコミ人に理性や節度、見識を求めるのは、サルに哲学を求めるようなものだ。若い騎手たちは、美談やゴシップネタになりそうなものに群がりストーリーを創って自らのエサにする狡猾なサルどもの餌食になってはいけない。美浦でも栗東でも、先輩騎手がマスコミ関係者に踊らされないためのメンタル防御術を若手にレクチャーしてくれることを願う。

あらためて、

30歳、濱中 俊。無心の勝利、おめでとう。

 

2着ダノンキングリーは惜しかったし、3着ヴェロックスは残念だった。

戸崎は、不利の加害者になることを極力避けようとするから、ときどきひどく消極的に見える。そこが歯がゆかいのだが、やっぱり凄腕。直線追い出しにかかってからのダノンの伸びには目を見張るものがあった。戸崎は人柄も良さそうだ。善人 of 善人に見える。JRA移籍当時より顔もまた良くなってるのが、彼が良い過ぎ越し方をしてる(=業を残さない)証明のように思う。怪我に気をつけて、近いうちに日本ダービー騎手の称号を手にしてほしい。

川田は、仕掛け遅れを悔やんだろう。敵をサートゥルナ―リア1頭に絞ってしまった。暴れ騎乗を復活させて追い込んだが、一度は前に出たサートゥルを差し返すのが精いっぱい。それよりあの追い込みを見て、私はヴェロックスのダメージが心配になった。

 

さて、4着に敗れたサートゥルナ―リアとダミアン・レーン

ロードカナロア産駒ということで敗因に距離適性が囁かれているが、気性の問題をさておくと、適性はダノンキングリーと同じくらいか、むしろやや長めと見る。今回はレーン騎手の夏バテと「アウェイの自覚」による緊張、サートゥルのダービー熱気パニックが主因ではなかろうか

個別のレースで上がり1位になったことはあっても上がり33秒台を出したことがないのは、キレで勝負する馬ではないからだろう。また、サートゥルナ―リアが輸送そのものにあまり強くない可能性、生来は春クラシックに向けて成長のピークが来る馬ではない可能性も、ついでに書き留めておく。

 

浜中ロジャーバローズほどではないが、勝浦ニシノデイジーの健闘には驚いた。ニシノデイジーの東京コース実績(1.0.0.0)では、「東京コースを得意とする」と断定するには心もとない。しかも騎手は勝浦だ。「若いのに自分で考えて乗れる」と美浦の調教師やTMに絶賛されたハタチそこそこの溌剌とした勝浦ではなく、馬と手が合う合わないで極端に成績が上下する、気難しそうなガテン系職人顔に変貌した勝浦だ。

勝浦より思考の柔軟性と判断力に富み、追える若手を乗せたほうが、ニシノデイジーのキャリア的には良かった。しかし馬主の西山氏は、脅しと励ましの両方を駆使して、結局ダービーまで勝浦を乗せ続けた。勝浦は、明け3歳以降のニシノデイジーとの3戦で何を学んだだろうか。彼には、40の手習いよろしく死ぬほど頭を使い、馬の個性と脚質ごとの対応力が上がった(=立ち回りの引き出しが増えた)ことを期待する。

 

ドンケツはデムーロ騎乗のアドマイヤジャスタ。

レース前検量の馬体重はマイナス16㎏、絞ったとしても減り過ぎで、よほど体調が悪かったのだろう。デムーロは追うのをやめている。

ダービーの次のレース、最終の目黒記念に出走した同馬主同厩舎の6歳馬は左第1指関節を脱臼し、予後不良と診断されて安楽死の処置がとられた。どうも2頭とも、熱中症にかかっていた可能性が高い。

デムーロは、短期免許でその場限りの乗り方をしていた頃とは大違い、JRA所属騎手になってから自分の乗り馬に優しくなった。アドマイヤジャスタは父系からも母系からも晩成寄りだ。ミルコ、ジャスタに未来を残してくれてありがとう