【感想】 2019年 エリザベス女王杯と腕の長さのうんたらかんたら

結果知って、倒れて寝ていた。

あー疲れた、うー疲れた、おー疲れた。仕事で疲れてたのもあるけれど。

もうあかん。もうあかん。もうどうでもいい。反省することなんかあるもんか。

人気どころから2頭選んで2頭ともコケた。わかってる。みなまで言うな

夜中に起きだして、youtubeでレース映像を観た。それまで、今回の感想記事は死んだフリしてヤメとこうかと思っていた。でもね、映像観たら目が覚めて、やっぱり独り言でも書いておきたくなった。

クロノジェネシススカーレットカラーは前走の疲労が抜け切れていなかったのだろう。他に理由があったとしても、そういうことにしておく。直近の前走評価だけでこの2頭をチョイスした間抜けさは今日で忘れる。そうしよう。

クロコスミアには騙された。もうテンに行けなくなってるのかと思ってしまった。エリザベス女王杯で、6歳牝馬はこの9年馬券に絡むことがなかったし(6歳の馬券がらみはなんと09年のテイエムプリキュアにまで遡る)。それに、いくらリピーターが来やすいレースったって、3年連続はめったにない。G1に限るとほとんどない(というか知らない)。そういやこの馬、去年も騙したんだっけ。個人的には去年はまだよかった、観るだけのレースにしてたから。今年もそうすりゃよかったかな。あ、いやいや、反省はしない。終わったことだ。

クロコスミアが自分のペースで走れた時の粘り強さは、父ステイゴールドや母父ボストンハーバーの特性もさることながら、母系2代母ショウエイミズキの血統的底力によるところも大きそうだ。ショウエイミズキ、なんたって「ナシュワン×サドラー×アホヌーラ」。重い、晩成、長距離血統の三重奏である。これを活かしきれない環境では三重苦となり、早晩ツブす対象になるのだが、ありがたいことに牝系は生産牧場を変えながら日高で脈々とつながっている。ショウエイミズキの母アルヴォラはディクタットの母、祖母パークアピールはケープクロスの母、こういう血統背景の牝馬を輸入した日高の生産者がいたってのも驚きだ。いっそ有志で、この牝系まるごと、配合育成研究会(=保存会)でも開いて日高の明日につなげてほしいんだが、立ち上げ式や懇親会に金と時間を使い、敵味方にすぐ分かれてしまう精神風土があると難しいんだよな、これが。

 

で、勝ち馬ラッキーライラックだ。出馬表の馬柱を見ると

1800m以上戦での勝ち鞍なし。なんだこれは。

1800mでも勝ったことがないんだぞ。東京2400mオークスでアーモンドアイの3着、これを後付けで「本格化前にアーモンドの0.6差なら強い」と考えることができたとしてもそれがなんになる。検討時点で思いつけよ、このバカ。

「いやしかし、スミヨンなら。いやしかし、スミヨンでも」――そう逡巡して “スミヨンだから買ってみた” ことになるのがイヤで予想にも挙げなかった、買いもしなかったエエカッコしいもいることだろう(はい、私です)。間抜けか、貴様

調教師・松永幹夫、強気でしたけどね。ヘヴンリーロマンスがよぎりましたよ、私。

断言しよう

スミヨンなくしてラッキーライラックの勝ちなし

直線の攻防観ましたか? スミヨンのアグレッシヴなコース取りと馬追い、迫力ありましたね。鬼神ですわ。鬼ですわ。夜中の寝ぼけマナコが一気に醒めました。

日本人騎手にはなかなか引き出せない最後の伸び脚。巷では、同じ位置、同じ折り合い、同じ仕掛けをやっても、日本人だと同じようには伸びないと言われている。

でもこれ、果たして「日本人だから」だろうか

もちろん、結論として「日本人だから」とは言える。なぜか。技術レベルの差か、ハングリー精神か、生まれたときから馬になじんでるわけでない環境のせいか。

どちらもそれぞれ少しだけ原因らしいものになっている。でも、それが全てではなく根本原因ではない、と私は見ている。根本原因、それは腕の長さ差だ

はてなで競馬ブログを始めて私が再三書いてきたことに、「日本人騎手と外国人騎手との骨格の違い」がある。はっきり書けばそれは手足の長さ、リーチである。いつだったかルメールと池添との叩きあいでも感じたし、古くはステイゴールドを勝たせた武豊と勝たせられなかった熊沢、直近では今春のヴィクトリアマイルのレーンと戸崎でも感じた。腕に長さがあれば、ハンドリングに余裕ができ、融通が利く。そのうえ、どんな姿勢でも(落馬しかかってたりアブミから足が外れてたら無理だけど)華麗な見せムチが可能になるから馬をコントロールしやすく、ぎりぎりのところで極限の伸び脚を引き出すことができる。

いま日本に来ている西洋系外国人騎手と日本人騎手、その中で同じ身長の者を並べて肩から指先、股の付け根から足が地についているところまでを測ってみたら、十中八九、外国人騎手のほうが長いはずだ。偉い人は「3cmの違いくらいなら誤差の範囲」と言いそうだが、競馬好きなら指の1関節分の違いでも手綱さばきに影響を与えるかもしれんと想像がつく。

手足の長さの不利は、特に競馬の場合、努力や根性では補いきれない。これは騎手自身が痛切に感じていることだろう。その意味で、川田(JRA公式159.0cm…実際は2cmほど低そうだ)の努力には頭が下がるし、藤岡祐介(JRA公式165cm)のチャンスと見るや……な知恵の使いどころに感心する。

昨年暮れ、朝日杯FS感想記事に、『藤岡佑騎手は、競馬において骨格にハンディのある日本人騎手が、西洋系の血を持った騎手に伍するために必要なものが何かを示唆してくれている。』と書いた。どんなトップ選手にも隙ができる。自馬でその隙を狙えるかどうか、読んで判断する能力が藤岡佑は高い(その自在版が少し前の横山典である)。

JRAの理事たちや競馬学校の騎手上がりの教官たちがこのハンディに気づいていないはずはない。わかっていて競馬学校廃止の方向に傾いているのか、それとも「じゃあどうすればええんやー」と手をこまねいているのか(無策)。

競馬学校や現場(美浦栗東)で、身長比の手足の長さを数値化して、数字に応じた操馬技術や操馬具を改良・開発するのは無理なのか。岩田康誠や蛯名、川田が、馬の背中に負担がかかることを承知で『踊り追い』をしていたのは、骨格という決定的なハンディでしてやられることを少しでも少なくするための工夫だった。しかしあの乗り方は、長い間に騎乗者自身も自分の脊椎をやられるだろう。乗馬素人の私が言うのもなんだが、あれよりもうちょっと合理的な工夫はなかったものか。

見た感じ、身長比で平均より手足が長いのは藤田菜七子。身長や足に比べて腕から手先までが長いのは四位。全盛期の武豊が日本ではなくフランスを拠点にしていれば、もしかしたら彼の地でそれなりの地位まで行ってたかもしれない。 と思う。