シャケトラが死んだ

突然すぎて現実感がない。

つい先日、ウオッカが15歳の誕生日を迎える直前に亡くなったばかり。シャケトラ安楽死の報の後にはヒシアマゾン死去のニュースが走った。

ヒシアマゾンは満28歳での死去である。誕生日は3月26日だからちゃんと満年齢を迎えていた。それに、馬の28歳は大往生と言っていい。アマゾンの仔は2011年産が最後なので、馬主の阿部雅一郎氏は、「繁殖としてのアマゾンは20歳で引退、21歳からは功労馬として余生を送る」選択をしてくださったようだ。預託されていたアメリカのポログリーンステーブルというところも、アマゾンを大切にしてくれていたことは想像に難くない。だから、アマゾンについては素直に冥福を祈ることができる。

ところが、生半ばと思える馬の冥福を祈ことは、私には難しい

特に、何とか未然に防げたのではないかと思える病死や事故死、好きな馬や期待した馬の死は、がくりと自分の中の一部が欠け落ちたように感じてしまう。

シャケトラはマンハッタンカフェの仔だ。マンハッタンカフェは、青鹿毛と呼ばれる漆黒のビロードのような毛色(日本の伝統色名でいうと「濡羽色」がもっとも近い)が特徴の、品のある姿形をした馬だった。競走生活を引退後は種牡馬として生きていたが、4年前に17歳で病死している。

その仔、シャケトラを知ったのは2年前の日経新春杯。名前が名前だからネタ馬かと思ったら、デビューは遅かったもののとんとん拍子に出世して1000万下を勝ち上がった準OPの身分で重賞にでてきた馬だった。そこでシャケトラは、勝ち馬と斤量差はあったもののクビ差の2着に健闘した。

「配合された牝馬の長所を引き出す」とされるマンハッタンカフェの子どもたちは、なぜか毛色も牝馬側に影響されて、鹿毛(茶色系)が強く出ている仔が多かった。しかしシャケトラは父に似た青鹿毛。本家よりやや茶系が濃いものの、走る姿は汗で黒光りしてカッコ良かった。

その後、シャケトラは2017年暮れの有馬記念後に骨折が判明、治療休養のための1年のブランクを経て、今年1月に復活した。しかし春の天皇賞を前にした4月17日、調教中に左第1指骨の開放骨折と種子骨の複雑骨折を同時発症して安楽死の処置がとられた。

痛くて暴れたわけではないらしい。競馬記者の目撃談(SNS)には、3本の脚で立ち、静かに馬運車を待っていたとある。 

たとえ人間の場合のように、チタンで成型した骨型や固定具を入れる手術に成功しても、競走馬は立って寝るのが普通の姿だから、どうしても残った健全な脚に負担がかかる。負担がかかると蹄葉炎(ていようえん)や関節炎になる。寝かせたら寝かせたで、500kg前後の体、褥瘡(じょくそう)ができるのは人間より早い。そのうえ、治療に国からの補助が出るわけじゃなく、犬猫よりはるかに大型だから莫大な医療費がかかる。結局、莫大な医療費と時間と人手をかけたうえ、当の馬を苦しんだまま死なせてしまうことになる――。

それゆえの安楽死処置。同じ左前肢を2度目だから、大きな負荷がかかった途端、ボルトで固定した箇所が割れてしまったのかもしれない。

21世紀は、安楽死が一般的になるほど、競走馬の疾病や故障に際しての福祉が進んだ。

競走馬にも苦しい死より安らかな死を。

わかっている。それはわかってる。

けれどどこか釈然としない気持ちが残る。

1度目の骨折の後に復帰し、調教中にまた骨折して安楽死の処置がとられた有名馬にはジョワドヴィーヴルがいる。シャケトラが最初に骨折してから安楽死処置までの経過はジョワドヴィーヴルと同じだ。

こういう事故で安楽死処置がとられるたび、テンポイントの事例が引き合いに出されるが、それも釈然としない気持ちに拍車をかける。引き合いに出す人は、「これが現実だよ。だからあきらめなさい」と、悲嘆するファンを説得にかかる。

しかし、テンポイントの時代から、一体何年が過ぎているのだろう?

テンポイントの死は1978年。人間の重度骨折手術でも、髄内釘(ずいないてい)固定やプレート固定の技術や術後(予後)知見は今のように広まっていなかった。ましてや固定具の素材にチタンを使うことなど費用面からも技術面からも考えられなかった時代だ(素材はステンレスが先端技術で、まだ竹を使っていた医療機関もあったようだ)。

いつまでもテンポイントの時代をひきずって思考停止していたくない。

シャケトラはノーザンファームの生産馬である。1回目の骨折時の治療では最新かつ細心の医療を施されたに違いない。それでも競走馬として復帰すると、次の骨折まで運と時間の問題でしかなくなる。

それを承知でなお、なんとかならなかったのか、というのが私の正直な感情だ。

本気には、時間とカネがかかる。競走馬の予後不良~安楽死を少しでも食い止める本気が次のパラダイムを拓くまで、私はシャケトラのみならず沢山の彼ら彼女らの冥福が祈れない